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高松高等裁判所 昭和28年(う)823号 判決 1954年1月12日

控訴人 被告人 藤田貞美の法定代理人 藤田ツネ

弁護人 松本梅太郎

検察官 大北正顕

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役弍年に処する。

原審における未決勾留日数中百五拾日を右本刑に算入する。

押収に係る理科年表一冊(証第三号)は被害者藤原憲一に、メートルグラス一個(証第四号)は被害者四条南高等学校に、写真機一台(証第五号)は被害者岡田至弘に、小型写真機一台(証第六号)は被害者伊達喜代志に夫々還付する。

理由

弁護人松本梅太郎の控訴趣意は別紙記載の通りである。

控訴趣意第一点について。

論旨は原判示第三の事実(強姦致傷)につき原審が皮下結締織炎を傷害と認定したのは誤りであると謂うのである。仍て考察するに原判決が証拠として掲げる原審第二回公判調書中証人守谷幾恵の供述記載、原審第三回公判調書中証人長尾勝の供述記載、長尾勝の検察官に対する供述調書、医師長尾勝作成の診断書及び被告人の司法警察員に対する第一回供述調書を綜合すれば、被告人は原判示第三の如く守谷幾恵を強姦するに際し同女の陰毛を一握り掴んで強く引張つたため陰部左側の毛根が弛緩し皮膚と筋肉の間を結ぶ組織即ち皮下結締組織が炎症を起した事実(毛根部と皮下組織との緊着力が不十分となり且つ該部位の皮膚が赤く腫れ軽度の接触で疼痛を感ずる状態、全治約三週間)を認め得るところ、刑法上傷害とは不法に人の身体に損傷を与えることを汎く指すものと解すべきであるから、右の如く陰毛を引張るの暴行により陰部附近に皮下結締織炎を生じさせた場合もまた人の身体に傷害を与えた場合に該当するものと謂わなければならない。所論の如く病理学上炎症自体は外部よりの物理的化学的或は電気細菌等による刺戟に対する生理的自然的反応であつて傷そのものではないとしても、右の場合被害者の身体の一部に損傷を与えたことは明かであり、原判決が被告人の本件行為を強姦致傷に問擬したのは蓋し相当であつて、論旨は首肯できない。

同第二点について。

論旨は原判決は本件強姦致傷認定につき採証の法則を誤つていると謂うのである。しかし原判決が証拠として挙示する前掲原審第三回公判調書中証人長尾勝の供述記載、同人の検察官に対する供述調書及び同人作成の診断書を仔細に検討し、論旨の主張する諸点殊に本件被害者守谷幾恵が当初長尾医師に対し性病に罹つているか否かにつき診断を求めた点、同医師は右幾恵の受傷につき何等手当を施していない点、同医師の診察は本件犯行の日より八日後である点等を十分考慮に容れても、右長尾医師が虚偽の診断書を作成し且つ虚偽の供述或は医学上不合理の供述をなしているものとは到底認められない。また原審第二回公判調書中の証人守谷幾恵の供述記載を検討しても同証人の証言内容が信を措くに足りないものであるとは認められず、本件記録を精査しても捜査当局において本件を殊更強姦致傷として扱うべく工作をなした形跡はこれを窺うことができない。これを要するに原判決がその挙示する各証拠により原判示第三の強姦致傷事実を認定したのは相当であり、論旨の縷々主張し且つ援用するところを吟味しても原判決に事実誤認又は採証の法則を誤つた違法はなく、論旨は採用し難い。

同第三点について。

論旨は原判決の量刑は不当であると謂うのである。仍て本件記録を精査して考察するに、被告人は原判決認定の如く十回に互る窃盗の外横領、強姦致傷、恐喝未遂等の罪を犯したものであつて相当の刑責を免れ得ないけれども、被告人は犯行当時少年であり是迄前科のないこと、窃盗及び横領の各犯行はいずれも比較的軽微であり被害の一部を弁償したこと、強姦致傷の点については所論の如く被害者においても些か反省を要する点があること(被害者は二日程前にも被告人と共に炬燵に入つていた際被告人より陰部に指を挿入されたことがあるにも拘らず本件被害当日も被告人が既に入つている炬燵に入り被告人の犯行を誘発した結果となつた)その他諸般の情状を彼此斟酌すれば、原判決の量刑(懲役三年以上五年以下)は幾分重きに過ぎると認められる(但し論旨主張の諸点を考慮に容れても情状刑の執行を猶予すべきものとは認められない)。従て論旨は理由がある。

仍て刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条第一項により原判決を破棄し、同法第四百条但書の規定に従い当裁判所において自判することとする。

罪となるべき事実及びこれを認める証拠は原判決の示す通りである。

(法令の適用)

原判示第一の各所為につき刑法第二百三十五条原判示第二の所為につき刑法第二百五十二条第一項

原判示第三の所為につき刑法第百八十一条第百七十七条前段(有期懲役刑選択)

原判示第四の所為につき刑法第二百五十条第二百四十九条第一項刑法第四十五条前段第四十七条本文第十条第十四条(強姦致傷罪の刑に併合罪加重)

刑法第六十六条第七十一条第六十八条第三号

刑法第二十一条

刑事訴訟法第三百四十七条第一項

刑事訴訟法第百八十一条第一項但書

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人松本梅太郎控訴趣意

第一点原判決は事実を誤認して居る。

一、原判決の罪となるべき事実中第三に於て「無理にも姦淫しようとして同女を其の場に押倒しその上に乗りかかつたところ同女がしきりに抵抗するので「今日はどうしてもものにする。声を出せば身の破滅ぞ観念せい」と申し向けて脅迫し、更に同女に対しその陰毛を握り掴んで強く引張る暴行を加えその抵抗を抑圧した上姦淫を遂げ、その際同女の左側陰部に全治まで約三週間を要する皮下結締織炎を生じさせ」たと認定して被告人を強姦致傷であると断定した。

二、即ち右認定によると皮下結締織炎を起させたのが傷害の事実であると速断して居る。凡そ炎症は人為に依つて生起する症状では無く之れは身体に対して外部よりする物理的化学的電気或は細菌等に依る刺戟に対し身体に生理的異和を生じた時に発現する自然的の快復力の生理的営みの状態であつて、彼の人力即ち行為に依つて直接に発生するものでなく換言せば行為によつて生じた外的刺戟に依つて人体に起る結果(傷害)を快復しようと一種の生理的自然力の営みが身体的に発現するもので炎症其のものは傷ではない。即ち「炎とは害作用に対し生物体組織の局所反応として発現する被害防衛、修復的機転の綜合で-組織被害(変性壊死)循環障害(炎性充血)及滲出機転増生等の形態的変化を示す綜合変化なり(木村哲二著病理学総論教科書上巻九九)とあり又「炎の本体は結局傷害に対する反応として生物体に有害な異物(細菌及び有害崩壊物)に対する防衛反応と見るべきで炎変化の大部分は有害異物の採取処理除去機転として発現して居る(同上一〇四丁)。炎症其の物は傷害でない事は殆んど争いのない処である。仮りに炎症を傷害と概念する時は、傷害の本当の概念との間に大変な混雑を招き収拾する事が出来なくなるであろう。されば原審の第三回公判廷に於ける長尾勝証人問、陰毛の弛緩具合はどうであつたか答、(中略)本件の場合は左側陰部毛根が右側の健康部に比較して弛んで居りましたから其の部分は受傷したものと認めました」と証言し炎症即傷害とは言うて居らない。又添付証拠中遠藤中節教授(岡山医大法医学教室)の本弁護人の尋ねに対し「炎症は一つの病的現象ではあるが病的生理的現象であります(中略)而して其の原因としては一般に之を「刺戟」であると謂えませうが機械的(外傷)温熱、化学的、電気的、細菌的に分ける事が出来ます之等の刺戟によつて起る炎症を私共は一般に「傷害」中に入れて考えます」とあるも右の「入れて考へる」と云ふ事は右の「機械的(外傷)が前提となり其の外傷を指して傷害と云ふ考の様で単に炎症其れ自身を傷害なりとアベコベの結論を謂うて居られるものでない事は文意に徴し明瞭である。即ち原判決は恰も負傷兵を治療する医療行為が敵兵を殺傷した戦闘行為であると云ふに等しく原判決が炎症を傷害だと認めたのは事実を誤認して居るもので判決に影響を及ぼすものであるから破毀さるべきものと思料す。

第二点原判決は採証の方則を誤つて居る。一、仮りに然らずとしても、原判決は右傷害(皮下結締織炎)の事実を認定するに当つて長尾勝の前記証言並に同人に対する検察官の供述調書並に同医師の診断書を殆んど唯一の証拠として居る。(一)処が其の診断又は証言は甚だ疑わしい点がある。(1) 被害者は昭和二十八年一月十五日に右証人に受診を求めた時は原審公判廷の裁判長の問、守谷幾恵は強姦されたからみてくれと言ふてきたか。答、最初「強姦されたので性病に罹つてないか診断してくれと言うて来ました」とあつて負傷したから診て呉れと診断を求めて居らないこと。(2) 昭和二十八年一月十四日の告訴状にも単に強姦丈の告訴であり致傷の点には触れて居らない。(本告訴状の提出を公判廷で求めたが見当らないとて提出しなかつた。その事実は調書に遺脱されて居る)(3) 被害者守谷幾恵の司法警察員に対する供述書(之れは出されてない)(4) 原判決引用の被害者の夫守谷春見の司法警察員に対する供述調書十、及び同人の検察官に対する供述調書にも、十二致傷の事実の供述なく、(5) 高橋伊佐子に対する原審公判廷に於ける本弁護人の問、証人に手紙を見せて泣いた時に幾恵さんは被告人の為め怪我させられたと言わなかつたか答、聞いて居りません」とあり、(6) 又長尾勝証人に対し原審公判廷に於ける本弁護人の問、証人は診断した時手当を施したか答、手当はしませんでした。問、患者は治療してくれと言ふて来たのか。答、その時は精神的にも動揺していた関係か私の処置に対しては別に何も申しませんでした。と証言して居り若し受傷(炎症)が発見されたとすれば開業医の常として何等かの処置を施すべきである(いわんや其時には診断書を呉れと云わず只診察を(性病罹病の有無)受けただけであり性病に対する適当な診察も施して居ない様子である。患者が精神的にも動揺云々と云うも、姦淫当時より八日も経過し且つ処女でない被害者が精神的に動揺して居つたとは受取り難い事であり仮りに然りとすれば却つて其の精神的不安を除去する為め手当を加へて安心さすべきである。然るに其事なきは畢竟炎症云々は虚構の事実には非ずやと思料せらるる公算大にして価値なき証拠を採用したのは法則違反の罵りあり、殊に、二、長尾医師の診断書に依れば「右の者左側陰部恥毛に極めて強力なる索引力を加へられたる為め毛根部と皮下結締織と緊着力不充分となりたる結果「左側陰部皮下結締織炎」を惹起したるものと診断す」とあり、且つ右記公判廷に於ける証人の証言中本弁護人の問、陰毛は抜けてなかつたか。答、抜けて居りません抜けた跡もありませんでした」とあり即ち陰毛の脱落しない程度然も其の陰毛は問、陰毛は頭髪より脱落しやすいのか。答、そうです」とあり抜け易い箇所であるのに之を「一握り掴んで引張つた」とてその為め皮下結締織炎を起すわけがない。何んとなれば毛根は皮膚から生えて居るもので其の皮膚の底にある結締組織とは何等関係ないもので細菌が何かの作用で侵入すればそれは皮下結締織炎を惹起するかも知れないが単に右程度の打撃では絶対に右炎症は起らない。ゆわんや毛根が弛緩した位いで細菌の侵入する余地はない又同証人も右証言で本弁護人の問、本件の皮下結締織炎は細菌に依つて起つたものか。答、細菌によるものではありません。(右問答は調書に採れて無いが同証人の証言の全趣旨より推しても同様に理解できる。されば右記遠藤教授の手紙にも、「陰毛を引張りそれが脱落せぬ程度である場合、引張ることによつて炎症が起るとすることには多大の疑問があると思います」とあり。又之れを一般医師に質しても一笑に附し去られて居る。且つ又之を自ら実験しても長尾医師の如き結果は得られなかつた。之れは医学的に見ても不能の事であり一般常識よりしても肯定されない診断証言は到底証拠の価値が無い。然るに右無価値の証拠を採用し強姦致傷と断じたのは採証の方則を誤つた違法がある。三、尚右診断書に「毛根と皮下結締織と緊着力不充分となりたる結果」前記の様な炎症を起した旨断じて居る前述の様に毛根は皮膚より生じて居り、其の下部の組織とは何等関係がないのに「緊着力不充分と云ふのは誠に解し難き断定と謂ふべく生理的事実に反すものである事は多言を要しない従つて炎症発生は其の余地がないものである。四、又千歩を譲つて行為当時赤発炎症が発生したとしても右の如き刺戟に依り機械的に発生したものとすれば数日を出でずして消散するもので十五日の診断当時まで残存する筈がない。例へば親友と握手する場合にその接触部に起る赤発は瞬時にして消滅する事は吾人の常に現認する処である。遠藤教授の所謂炎症は普通の炎症即ち変性壊死循環障碍組織増生等を指したるものと思料す。以上の次第で証拠価値のない証拠を原審では採用して居る。五、「毛根が弛緩」して居る点について長尾証人は原審に於て本弁護人の問、毛根の弛緩具合は肉眼で見て判るのか。答、目で見た丈けではありません。患部を手で押へたりいろいろ調べた結果です」と証言して居るが毛根が弛緩したか如何は到底判るものでなく殊に行為後右状態の下で八日も経過して決して分るものではない全く出鱈目の証言である。遠藤教授も「陰毛の弛緩」と云ふのは如何なる状態をさして謂ふのか私の寡聞之を明かにしません。従つて行為後八日後に見診触診でそれが判明すると云う事も私には理解出来ませぬ」と云われて居る。

同証人の供述中(前出)本件の場合は左側陰部毛根が右側の健康部に比較して弛んで居りましたからその部分は受傷したものと認めました」とあり本証人の証言は結局炎症が受傷ではなく毛根が弛んで居つたから受傷だと推定した事になるので原判決の傷害の断定と非常に相違して居る。換言すれば毛根が弛んだのが受傷か炎症発現が受傷か。何れが真なりや引用証拠にては判断しがたい相いれざる証拠を採用して居るのは採証の方則を誤つたものである。右次第で本弁護人は昭和二十八年六月十九日公判に於て鑑定の申立をしたが同年七月二十四日公判に於て却下されたので他の証拠に依るを得ず止むなく右遠藤教授の信書を提出して致傷の事実を否定して量刑の不当を主張するものである。六、原審証人守谷幾恵は、問、証人はどうして医師にみて貰つたのか。答、私は風が悪いので自宅で薬をつけて居りましたが警察の人が、そんなに抵抗したら何処かに傷がしたろうがと申しますので診断して貰いました」とあり前記長尾証人の証言と大変な相違があるが右は夫春見の司法警察員に対する本年二月九日附供述調書に依ると「強姦の告訴を取消す心算で妻と共に書面に判を押しましたが(本年一月二十五日附取下)其の後頼みに来た人等が和姦である様な吹聴するので現在私及び妻の意思としては告訴を維持し取下げる心算はありませんので、よろしくお願いします」とあり単に強姦では如何ともし難いので先に「強姦されたので性病に罹つてないか診断して呉れ」とて受診したのであるが更に医師に依頼して本件証拠の診断書を貰つて致傷をデツチ上げたのではないかと疑われる筋がある。何となれば前出の様に警察員に注意されたのであれば一月十五日診断を受けた時に診断書を求めるべきであるのに原審証人長尾勝に、問、患者は証人の処へ来てどうして受傷したと云つたか。答、強姦されたのだが診察して呉れと申しますので診察した処診断書に書いてある傷害がありました、その時は診断書の請求はなかつたので作成しませんでしたが其後になつて診断書を作成して呉れと申して参りましたので私は初診当時のカルテに基いて日時も其の日にさかのぼつて作成しました」とあり被害者の供述調書作成が昭和二十八年二月九日であるが右一度告訴を取下げたので親告罪として施す術なく致傷として取扱はるる様画作した形跡が以上の事実に依り看取せられる。更に守谷幾恵に対し問、医師は手当をしたのか答、こうやくを呉れました。そおして消毒したのです」とあるも同医師に対し問、証人が診断した時何日位で全治すると思つたか、答、三週間位で手当を加えなくても治ると思いました」とあり薬を与えたとは言つて居らない、問、医師はどう言つたか答、少し腫れて毛が抜けた跡がありました。又問、医師はどう云ふたか、答、毛を引張つて少し弛んでいると申しました」とあるが同医師長尾勝は単に「発赤」して居つた」と証言して居るが腫れて居つたとは言つて居らない右の如く守谷幾恵の証言の右致傷及び之に関聯する証言は全然虚言であつて信を措くに足りない次第である。

第三点原判決は量刑が著しく不当である。原判決は被告人を強姦致傷、恐喝未遂、横領、窃盗罪に依り懲役三年以上五年以下に処せられたが、右の内横領窃盗は被害額も少額で且つ悪質のものでも無く又其の被害は全部賠償されて居る。恐喝未遂は一見悪質の如く見ゆるも一種のアプレ型で自己の行為の性質を反省吟味して為したのでなく偶発的なものであると共に被害者之を夫に告白して後は殆んど問題とならず却つて之れが禍いして本件全犯行の発覚となり殆んど問題として残つて居らない。只問題として大きく残つて居るのは強姦致傷である。然るに致傷の点は前述の如く極めて疑はしく仮に致傷ありとするも、一、被害者の人格は原審証人高橋伊佐子に対する本弁護人の問、被害者の家には事件前から若い青年がいつも遊びに行つていたか。答、ちよいちよい遊びに行つて居りました。問、それに対し幾恵さんは別に悪い顔はしていなかつたか。答、しませんでした。問、証人と伊藤敏雄が西枕でねて炬燵にあたつていた時被告人と守谷幾恵はどうして居りましたか。答、東枕で横になつて居りましたが私等は雑談して居りましたのではつきり判りませんでした」とありて常に青年男子と女子が風俗を紊して居る状況がホウフツとして居る。又同野々下善明に対する問、以前被害者夫婦が大生院村に住んでいた時妻の幾恵さんが外に男と男女関係についてゴタゴタがあつたのか。同、左様な噂をきいた事はありますが事実かどうか知りません」とありて同女が淑徳兼備の人妻でない事は明かである。又、二、被害者と被告人との関係は、被告人は他の同部落の青年男女と同じく以前より遊び宿として出入して居り殊に昭和二十八年一月五日の夜は被告人と同じ炬燵の中へ這入り共に寝て(原審には提出して居ないが守谷幾恵の司法警察員に対する供述調書には「右手を私のモンペのすそから入れて私の陰部にさわり、更に指二本を局部に差入れましたので、私はばかな事をするもんぢやないと注意すると伊藤高橋等も、適当にやつている、と申していたがそれ以上別に何もしなかつたのですがその時の私の声は別に大きく騒ぎ立てるやうな態度や状況ではなかつたのです」とあり又原審証人伊藤敏雄に対する本弁護人の問、本年一月五日の晩に守谷方で高橋伊佐子等と反対の側で被告人と守谷幾恵が炬燵にあたつて居つたのか。答、そおです。問、其の時幾恵さんは何を言つていたか。答、何かコソコソ話をして居りましたが判りませんでした。問、其の時証人は高橋伊佐子に対し被告人と守谷幾恵の事を、やつているねや、と言つて話したことがあるか。答、忘れたがそんなに言つた事があるかも知りません」とあり又原審証人守谷幾恵に対する問、証人は着用していたモンペのすそをはぐつて陰部に手で触れたのではないのか。答、そおです。問、それからどうしたのか。答、藤田さんは私の陰部に指を入れて、いじくりました。問、どうしてそんな事をしたのか。答、黙して答えず。問、其の時高橋伊佐子や伊藤はどうしていたのか。答、二人は仲良く話をして居りました。問、証人は其の時藤田に対しそんな事をしたら、いけないと言ふて止めた事はないのか。答、そお言うて止めましたら止めました」とあり更に又原審証人高橋伊佐子の本弁護人の問、証人と伊藤敏雄が西枕で寝て炬燵にあたつていた時、被告人と守谷幾恵はどうして居りましたか。答、東枕で横になつて居りましたが私等は雑談して居りましたので、はつきり判りませんでした」と証言し当夜幾恵と被告人との関係は所謂落花情あり流水あに其の心無からんやの態であつた。茲に於て血気の被告人は幾恵は既に己れのものとなつたと即断し翌々日の挙措に出でたもので、何人も男女間に之れ丈けの接近あればものになると思うのは当然の事であり敢えて被告人のみとがむべきではない。性行に関しては女は消極的であり且つ消極的に之れ丈誘発する被害者も確かに責任がある。尚お男女間の情事は到底筆紙に尽し難い幽玄微妙なものがあり本件記録に表現し難き幾多のあるものが秘められて居るものである。原審証人伊藤敏雄の証言中「藤田君が「全部が全部俺が悪いのか」と幾恵に反撃して居るのも、その間の消息を物語るものである。三、行為当日も被告人は朝被害者方を訪れ三畳の間の炬燵へ例の通り暖まつて居ると、用をすませた幾恵は又被告人のあたつて居る炬燵に這入り込んで来たので被告人は愈々問題は無いと思い青春の血が逆流し前後の考へもなく幾恵に挑み掛つたものである(原審証人幾恵は裁判長の問に対し、問、藤田は来てからどうして居つたか。答、三畳の間で炬燵にあたつて雑誌を読んで居りました。問、其の時証人はどうして居つたか。答、朝のかたづけをして居りました。問、それが済んでから証人も炬燵に這入つたのか。答、そうです」)其の直後高橋伊佐子が訪れて来たので被害者は布団を上からかぶつて隠れて居り右高橋が帰つて姦淫を敢行したのであり(原審証人高橋伊佐子は検察官の問、其の後二日位たつて証人は守谷の家へ行つたですか。答、モンペを縫つて貰う考へでモンペの生地を持つて行きました。問、其の時の模様を簡単に述べて下さい。答、私が守谷さん方へ行くと子供が居りましたので「お母さん(幾恵の事)居る」と云つて尋ねると「居る」と申しますので這入つて行きますと上り口に下駄がぬいでありましたので誰れか居ると思ひましたから子供に「貞美」さんが来て居るのかね」ときくと「はい」と言いました、それから私は同家の三畳の間に上り炬燵がかけてありましたから入口の所で「おばさんおばさん」と声をかけましたか返事がないので二分間位してすぐ帰りました。問、其の時被告人と守谷幾恵はどうして居りましたか。答、布団の中えもぐり込んで居り二人の姿は見えませんでした。問、それで証人は遠慮して帰つたのか。答、そおです」とあり又原審証人守谷幾恵に対し問、一枚の布団に二人が這入つていたのか。答、そおです。問、其の時(伊佐子が来た時の事)逃げようと思えば逃げられたのではないか。答、逃げられたと思ひます」とあつて守谷幾恵が断乎として之を拒否しようと思えば其の機会易々と逃げる事が出来たのに其の事なしに布団をカブツテ寝て居つた事は普通強姦の時の事情と大変趣きを異にし幾恵が原審に於て「世間の人は私が誘惑した様な噂する人もある……」とあり又幾恵の夫守谷春見の司法警察員に対する昭和二十八年二月九日附の供述調書にも「頼みに来た人等が和姦である様な事を吹聴するので」とあり或は却つて右事情に精通する者の噂が真なるやも知れずと思はるる筋あり、四、被告人は他の女性に対しても姦淫を強要した如く情況証拠が出て居るが当地方の青年男女の関係は右述の如く極めて厳粛を欠ぎ居るので別にそれが被告人のみの不行跡として責むべきではない。下世話にも一押し二金三男」と云ふ諺もある位で表面的には多少の無理を仮構する事は殆んど例外なき事とも云うべきであり、殊に「姦通が夫に知れたら必ず妻は強姦だと訴う」事は世の常である。されば幾恵も原審に於て「若し被告人が恐喝未遂をしなければ問題とはしなかつた」旨を陳べて居る。五、犯行後被告人は改心して居り且つ巳に一ケ年に垂々とする未決勾留にて実刑を受けたのと同じ効果を挙げ且つ少年犯である等の事情もあり、六、被害者も原審に於て問、現在証人は被告人に対しどう思つているか。答、真人間になつて呉れるなればできる丈早く帰つてくれる様望んで居ります。世間の人は私が誘惑したように噂する人もあるので困つて居ります」とあり又本趣意書に添付して居る同人夫妻の歎願書によつても被害者の感情は著しく融和し、七、又原審証人野々木善助に対し本弁護人の問、被告人の兄弟は、答、長兄は外部の人に対しては大変よいのですが家庭内では相当やかましいです現在広島の方へ出稼に行つて居り二男は桜井駅の助役をして居り三男は住友機械に工員として勤務して居り四男は鉄工所に勤めて居ります」とあり次兄は模範的の人物で将来は同人が被告人の世話をする事になつて居り且つ更に、問、被告人は将来立派に更生できると思ふか。答、立派に更生出来るものと確信致します」とあり、八、尚一般他戒の点も前述の和姦云々の風評あり元より致傷の点は夫春見すら口に出して居らないので寧ろ一年に近い勾留は一般民も意外に思うて居る位である。右の事情よりすれば被告人を刑の執行猶予に処すべきが妥当であるのに前記の刑を言渡した事は量刑甚だ当を得て居らない。仍て原判決は破棄すべきものと思料す。

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